カテゴリー「学習障害・不器用」の21件の記事

2023年1月30日 (月)

言語的エピソード記憶が出てこない(1)

10月のブログの続き。

 

視覚記憶がこんなに回復すると思わなかった。

書類を転記する時、前は紙を裏返すと内容がすぐ抜けたのが、今は2分以上もつ。

過去の光景も、手がかりがあれば思い浮かんで、味、匂い、触覚を伴うこともある。

 

それがなぜ損なわれ、なぜ復活したのかわからないけど、私のエピソード記憶は〈非言語〉に関する限り修復可能なのかもしれない。

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ところが、音声言語のエピソードだと、数分前に聞いたことすら消えてしまう。

話にあいづちを打っているのに、その後「今なんて言ったの?」と聞くことも増えた。数分前どころかリアルタイムで。

そういった言葉を無理に思い出そうとすると、頭の中にサイレント映像が途切れ途切れに現れ、キーンとした何かが広がる。

音の高低や、相手と自分の感情、といったニュアンスはなんとなく思い出せるから、もどかしいし、気持ちが悪い。

 

いつからひどくなったんだろう。

文字ならどうか。

例えばメールの返事を書くのに何度も読み返さないと、相手が何を書いたかすぐ忘れてしまう。

以前とはかなり違ってしまった。

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これでは、もし犯罪の被害者になっても何も証言できないので困ってしまう。

……

こうなったらもう、非言語記憶を駆使して言語的エピソードを覚えるしかない。

例えば聞いたことをオウム返しすると、口の動きがプラスされて少し印象強く残る。身振り手振りも同じように。

本当に保存したいなら、メモなりボイレコなり使えばいいのだ。

 

でも、会話内容を思い出せないのはいつも寂しいし、周りの人にあきれられてしまう。

それは信頼や責任にも関わることなので、なんとかならないものかなあと思う。

<おまけ>

エピソード記憶についてはこちらのPDFなどが参考になります。
記憶は脳のどこにあるのか?
神経心理学入門 記憶障害のみかた

>>続き

2022年9月19日 (月)

左手の不具合のまとめ

左手の不具合を振り返ると、食器を投げつけた事件 の頃からだから、もう11年以上経っていると思う。

最近では左手に殺されるかもしれないというエピソードが代表的。

1年くらい前、どんどん悪くなる認知機能という記事も書いたけれど、あれからほぼ横ばいである。

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他人の手徴候=エイリアンハンド症候群に似たもの。

例えば昨日も、左手にごはん茶碗を持った直後、床にひっくりかえしてしまった。
自販機でコーヒーを買おうとすると、左手は炭酸水のボタンを押してしまう。
おそらく100の行動があったら、15~20はそんな風に間違える。

今ではそれも慣れっこになった。
間違いが当たり前という前提で暮らしている。
身内もそれをしかたないながら受け入れてはいる。

ただ、今後再就職した時に果たして、それを理解してもらえるだろうか。

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前の職場では、物品を運ぶ台車を左側の壁にぶつけることが何度かあった。
左から来る人にぶつかりそうにもなった。
病室の左側にいる人に物を頼まれて、それが誰かを思い出せないこともあった。

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脳神経外科、神経内科と、この不具合を相談したけれど、
「画像では異常はありませんよ、(精神科の)主治医の先生に相談してください」
と、毎回のように帰されてしまう。
精密検査に回してくれることもなく、当然、病名もついていない。

主治医もまた、脳血流検査を受けたいと話すと、「わからないと思いますよ」と難色を示す。
皆、私の訴えがメンタル由来だと決めつけているのだろう。

自力で原因を類推しようとしているけれど、Wikipedia でもはっきりした原因は書いてない。

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たぶん、もっと症状が悪化しないと、診断はつかない。
これまで十数年、ゆっくりと悪化したように、これからもゆるゆる悪化していくと思う。

せめてリハビリにと、鍵盤楽器を弾いたり、お手玉をしたりする毎日である。

2022年4月 2日 (土)

知能検査の皮肉な結果

通院先で受けたウェクスラー知能検査、WAIS-Ⅳの結果が出た。

数年ぶり、2回目の検査で、バージョンも設問も変わっていた。
知能検査の内容は、本来あまり公にしない方がいいらしい。だから伏せ気味に書く。

受けた人はわかると思うけれど、このテストは知的能力の一部しかわからない。
もちろん、頭がいいか悪いか、発達障害かどうかを判定するものではない。

ただ、能力の凸凹を客観的・相対的に知るという意味では、役に立つ体験だと思う。

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総合的なIQは前回と同じとはいえ、私の場合あまり参考にならない。

なぜなら図のように、上下で29も差があるから。

4つの群指数で最も高かったのが、ワーキングメモリ(WM、作動記憶)。
診断はADHDなのに、何とも皮肉なものだ。実生活では、0.5秒前のことも覚え続けることができないのに。

この矛盾はなぜかと考えた。

検査で用いるのは主に、聴覚的なWMだ。私は昔から、耳から聞いた言葉や記号を文字化する(詳しくは→)。
今回も自然にそうしていた。
それはたぶん、検査室という場所だからできることであって、日常場面のような視覚情報や声のあふれた場では"干渉"を起こしてしまい、WMが働かなくなってしまうんだと思う。

だから、WMの値が飛び抜けて高くても、あまり嬉しくはなかった。

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ついで高かったのが言語理解。これも意外な結果だ。
この検査には、ストーリーを組んだり、エピソードを話したりする課題はない。
だけどもしそれを調べたら、言語能力はそうとう低く評価されるはずだ。

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そしてワーストは、主に視覚を使った"処理速度"と"知覚推理"。
物をパっと見て、すぐに判断して、すぐに動く能力はもともと低いし、今はさらに低くなっている。

処理速度は次回に書くとして、知覚推理(Perceptual Reasoning)は、受けた時の感覚でも前より下手になっていた。

複雑な情報の整理や、法則性への気づき、問題解決。
低い、といってもボーダーには達している。
ただ、自分の中ではめいっぱい集中して、少しでも早く、正しく、を心がけてやったつもりだ。

きっと仕事の時と同じように、思いのほかミスをしていたんだろう。
我ながらやるせなかったし、心理士の書いたコメントが辛辣にすら感じた。

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WAISと発達障害との関係を検索してみたものの、凸凹のパターンは人によってまちまちで、何の診断だから何が高い(低い)というものはなかった。

ただ、この凸凹が大きいと、やっぱり生活の不具合は生じる。

前のWAIS-Ⅲは別のクリニックで、下位の十数項目の結果も見ることができた。それは4つの群の内部でも、さらに凸凹していた。
例えば、視覚か聴覚か、具体的か抽象的か、手を使うか使わないか。

今回も詳細がわかれば、もっと自己分析ができるんだろうけど。

2022年3月 5日 (土)

続・知覚が解体した経験

3月3日

前回の続き。半覚醒睡眠がぶり返す。明け方見た夢も異常で、職場の物品棚の画がひたすら続き、何かを考えているだけの夢だった。

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仕事では遅さや不正確さを咎められる。しかも「人数少ない部署なので、一人で完璧にやれるように」とプレッシャー。

例えば、バラバラの物品を、片割れを探しながらセットにしてきれいに束ね、箱詰めして持っていく、これもなかなか速くできない。しかも詰めたものは20kg以上。

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家で寝ていたら今度は家族に怒られた。事情を話しても仕事を辞めないからだと聞く耳持たず。言葉がまともに出ないので弁解を諦める。

辛さよりも、できない、言えないもどかしさの方が強い。

3月4日

2日間ネットを控えたせいか気分は悪くない。文章を打つ行為だけ、とてもゆっくり達成できる。そのためか書字依存になっている。

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まだ、知覚の"解体"は進んでいる。
うまく説明できないけど、必要な情報と不要な情報を分けるフィルターがなくなったような感じ。

牛乳を飲みたくて取ろうとしたら、目の前のカルピスを手に取る。その手のエラーが数十回。

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信号待ち中に交差側の青信号が目に入ったら、進行方向の信号の色だと思い、赤の方に飛び出す。

たぶん、

「今私はどこにいて、何をしようとしてるか」

という情報が、目に入った刺激に負けてしまうのだ。

それ以上はもう、頭が働かなくて考察できない。

2022年2月22日 (火)

人生で一番合わない職場(2)

前回

仕事がなかなかうまく行かない。

重労働や手先作業は、何十回、何百回と繰り返すことで、神経もさすがに学習したようだ。求められるスピードには少しも近づいてないとはいえ。

……

いちばんできないのは、在庫数を見に行って必要な物品の数を見積もることだ。

理由はわからないけれど、最近

「順序、数字、記号、配置」

というような概念の理解力が壊れている。過去にはむしろ得意だった概念だ。

しかもセクション名が数字と記号でわかりにくい上、各セクションの造りが全く同じ。ところが物の配置や定数はまちまち、マニュアルや表示も合ってない。

そんなわけで毎回混乱し、間違え、遅くなる。

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しかも落とす、ぶつかりそうになる、忘れる、迷子、のオンパレード。

あるいは、必要なもののイメージを心に浮かべながら移動し、先輩に伝える、その時、いつも違う品名を言ってしまう。

視覚と言葉とがリンクしないのだ。同じ理由で質問や報告も正しく通じない。

さらに体性感覚がおかしくて、やることが乱暴、がさつになる。

一番できなくなっていることを一番求められるから、毎日へとへとに疲れる。

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「今日はどんなミスをしてどんな注意をされたっけ…」

思い出せない。昨日や先週の記憶と混同する。

「数が違うと言われたのはどのセクションだっけ…」

わからない。メモなんてとる時間ない。取れるようになった時にはもう覚えてない。

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これでも、ストラテラを去年の二倍にして、鉄、ビタミン、安定剤も処方されている。

だけどほとんど、それらの効果を感じない。朝、休まずに行けていることくらいか。

原因もあれこれ考える。どれもあてはまりそうで、自分の中では特定できない。

少なくとも一昨年くらいはこんなじゃかった。間違いなく悪化している。

前は、Alexaにリスト追加を頼む間に、何を頼むかを忘れていた。

今は、「アレクサ、………」

その次の言葉が出てこない。

………

そのうち、解雇されてもおかしくないと思う。こんな状態じゃ、役に立たないもの。

ただ、これは本来の自分じゃない。この機能低下がいつまでも続くのか、もう元に戻らないのか、考えると不安になる。

続く

2022年2月12日 (土)

人生で一番合わない職場(1)

こんなご時世、非正規とはいえ雇い先があるだけでも幸運なのかもしれない。

だけど、どうしても合わないという場合もある。

以下、新聞記事風に(ぼやかしあります)。

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病棟で看護補助者のパートをしている40代のN子。7年前にADHDを主とする発達障害(神経発達症)と診断されて、投薬治療をしているが、職場には告げていない。以前より意欲的になった代わり、年々、物忘れや動作の遅れなどが進み、悩んでいる。

病棟の利用者は年齢を問わず、認知症や脳卒中の後遺症、高次脳機能障害などを抱えた人達だ。

学生時代、知覚心理学を学んだ彼女にとっては学びと触れ合いの場。苦手だった会話や介助もだんだん楽しみになった。民間の介護資格も取得し、この仕事をライフワークにしようかとも考えていた。

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ところが、看護師資格をもつ上司は、N子の特性を快く思わなかった。

遅刻や欠勤はないし、業務の妨げになるようなミスもしていない。それでも端々に出る発達の偏りから、上司は彼女が安全で安心なサービスを提供できないと評価したのである。

N子が清掃や補充中心の業務に回されてしばらくした頃、職員が新型コロナウイルスに感染し始めた。オミクロン株のクラスターだ。

突然、感染症病棟と化した空間。食事は袋に入れて上げ下げし、ガウンや手袋の脱ぎ着も順序が決まっている。N子は他の職員と同じように動けず、何度も叱られた。

数日経って突然、彼女は部門の責任者に小さな倉庫へ連れて行かれた。「今までの部署は感染のリスクがあるから、しばらくこっちでお願いしたいの」と。

十分な説明も、検討の余地もなかった。

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移った部署は二人体制。先輩は厳しいながらも親切で、気長に見守ってくれそうだ。

ところが業務内容が問題だった。決められた時間では到底終わらないような作業を、山のようにやらされるのである。

衣類・寝具等の分類と配布、延々と袋を閉じるだけの単純作業、軽装備での汚れ物処理、20キロ以上の荷物を次々持ち上げる重労働……。机も休む椅子もない。

マニュアルは在っても無いようなもので、曜日、場所によって例外が山ほどある。その例外が複雑ですぐには覚えられない。

しかも上からは、早く一人でやらせろ、残業はさせるな、などの指示が先輩に来たという。

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N子はすぐに筋肉痛、神経痛、メモリオーバーになった。

前の部署のSNSグループには残っていたが、名簿からは自分の名前だけ消されていた。元上司は久々に会っても、一べつしただけで声もかけない。

「あ、要らないんだ」とN子は直感した。

家に帰ると筋肉やら神経やらが痛み、物を拾うこともできない。夜、横になると、脳裏に幻覚や幻聴が現れたりもする。

N子は暇さえあれば、自分の適性のことを考えた。

「いくら頑張ってもできないのは、私に障害や症状があるからなんだろうか。どうすれば苦手だらけの仕事についていけるんだろうか。」

他の職員が散らかした物品の後片付けをするのも彼女達の担当だ。マナーの良い職員は少ない。マニュアルが例外だらけなのも、他部署の要望に応じ続けた結果なのだろう。

先輩が一人勤務だった時は、時間に終わるはずのないノルマを、超過勤務をつけず、休み時間も惜しんで続け、管理側に改善を要望しても通らなかったという。

そこまでしなければならないとは。N子は強い憤りを感じた。

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速く、正確に、大量に。世の中はその通りできる人ばかりではないのに、この職場はまるで、「劣る者は去れ、有能な者が残れば良い」と言わんばかりだ。

しかし、そのような旧態依然たるやり方が、いつまでも続くものだろうか。

N子は移った部署に腰を据えることを決め、体力や器用さを訓練で身に付けようと考えている。同時に、得意分野を活かせる資格試験の勉強を始めた。

それらは職場のためなどではなく、自分自身と、利用者のためにである。

続く

2022年2月 7日 (月)

DMNと白昼夢/視覚の暴走(?)

目を閉じて安静にすると、人がしゃべっているような声が聞こえてきて、おぼろげに人の姿や背景も見える。
だけど、実際の人やテレビの音は聞こえてるし、これは非現実であるというのもわかる。

「何だろう、これは」と思って目を開ける。すると、見聞きしていたものの内容をすっと忘れてしまう。

そんなことが日曜から5~6回。これまでも時々あったことだ。
まあいわゆる、白昼夢である。

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検索してたら、「デフォルトモードネットワーク(DMN)」というキーワードを見つけた。

一般向けな説明はこちら。

思い返せば、私は一日の中でこのDMNの時間がやたらと長い。
睡眠時に珍しい脳波が出るので、関係があるのか?

白昼夢が起こるのは、横になってDMN状態の時。以前は、横になると思考が止まって何も意識できなかった。

起きているのとも、眠っているのとも違う。
声は比較的はっきり聞こえるが、見えるものは輪郭があいまいで、異世界にいるかのよう。
内容は一度も記憶に残ったことがない。

夢と違うのは、自己意識が起きているから、いつでも中断できることだ。

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もし、これが開眼時も起こるようになり、夢だと認識できなくなったら、幻覚幻聴であり、母と同じ(自分も診断されたことがある)統合失調症とみなされる可能性がある。
あるいは、解離性障害(解離症)にも似ている。

ただ、もともと視覚優位性なせいか、たいてい映像がついてくるので、現実ではないとわかるのだ。

参考:脳内ネットワークの過剰な活動が統合失調症の症状に関与

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過剰な活動といえば、最近の自分は、どうも視覚系が暴走しているように思う。もともと暴走気味だったのが、「物を正しく扱ったり、探したり、丁寧に扱ったり、」がますます下手になった。

前回、左手の不器用改善について書いてから、体性感覚に注目したり、目をつぶって動作したりという試みを続けている。そのうち、だんだんこういう風に実感してきた。

「私の視覚情報処理は、他のモダリティによる処理よりもかなり速度が遅い」(仮)

例えば、
「はさみを取り上げようとして、手がぶつかって、落とした」
という場合、視覚情報を<認識>するより先に手が動いてしまう。手の動きもまた、目で認識するのが遅い。

ところが、こういった作業を目を閉じてやると、ずっと早く正確にできたのだ。

だとすると、WAIS-Ⅲ知能検査で処理速度が最も低く出たのは、運動神経だけでなく、視覚処理の遅さが絡んでいる可能性もある。
遅い=頭のリソースを多く割いているわけだ。

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その<視覚認識>とは具体的に、どういう脳内処理なのか??

そこまでは知識不足もあって、まだ確信的な文献にたどり着いていない。

例えば発達障害や精神疾患、過去に罹ったアルコール依存、などと、左右半球の関係や大脳辺縁系の働きとの因果関係を探っていけば、他の症状とも共通するヒントを見つけられるかもしれない。

何より私のMRIを、そこまで細かく読影できる専門家がいれば、話が早いのだけど、それは夢みたいな話だと思っている。

続く

2022年2月 2日 (水)

左手の深部感覚を取り戻せ

過去記事:左手に殺されるかもしれない

ずっとTwitterで左手の不器用さについて考えていて、ある時、はたと気づいた。

・・・

その日は生クリームがもりつけられたパンを左手に持って、右側のコンロを見ていた。

すると、左手がパンをくるっとひっくり返したのだ。

初めてじゃない。最近週に1度はあることだ。

なぜ?

床に落ちたクリームを見て思った。これは脳の深部感覚とか、固有(感)覚の問題ではないかと。

←手などがどの位置にあるか、どう動くか、みたいな知覚。

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Switchのゲーム。慣れてないのもあるけれど、コントローラー左側のスティックで、行きたい方向にうまく動かせない。

フィットネスゲームで、見本の動きと同じ動きがどうしてもできない。

ピアノやパソコンは思い通り手指が動くから、整形外科的問題ではないはず。

視野も異常無し。半側空間無視もなし。

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そんなこんなで、こう考えた。

"左手が今、何のためにどう動いてるか"という知覚が、うまくできていないのではないか。

じゃあ足はどうか、はよくわからないし、原因の裏付けもないものの、

取り急ぎ"左手がいま、どこで、何をしているか"、を積極的に感じてみることにした。それをしても、特に害があるわけではないし。

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すると、さらに二つのことに気づいた。

一つは、左手で何かをする時、目を閉じた方がうまくいくこと。つかんでいる感覚も強い。

試しに、親指と他の指を順番にたたく体操をした時、目をつぶると難なくできても、目を開けてやるとたたく順や回数をすぐ間違えてしまう。(特に両手同時の時)

ただこれは、思い込みかもしれないので様子見。

・・・

もう一つは、自転車に乗ったり、単純作業をしたりしてる時、どんなに余計なことを考えていたか、どんなに手足の状態を顧みなかったか、ということ。

スポーツが、特に反射神経を使う競技が嫌いで、苦手だったというのも関係しているかもしれない。

苦手だと敬遠するし、敬遠し続けるともっと苦手になる。

その悪循環を断つため、これからはあえてそういったスポーツに挑戦したいし、普段の作業でも煩悩を追い出すようにしたい。

2021年12月30日 (木)

人生が人の半分しかないと思って生きる

2021年最後の覚え書き。

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人より「遅い心」を持って生まれた私達は、人生が80年だとしたら、質的には40年相当しか生きられない可能性がある。

まず、情緒・言語・社会性の成長が遅れていた。

社会参加が出遅れていて、一般教養や経験が少ない。

処理速度が相対的に遅くて、時間が他の人より早く過ぎる

協力してくれる人もいないから、自力でやらざるを得ない。

さらに、睡眠時間や心身の回復時間も相当長い。

その根拠は、この数年の色々な検査と、記録、振り返り(これも含む)。

ただ。

そう認識することによって、「短い」人生をもっと長く、有意義に感じられるよう、工夫することができるはずだ。

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遅れのない部分もある。

例えば模写や聴音やものまね。要はごく短い間の短期記憶。

生活上使わないスキルばかりで、アウトプットもできない。

助けてくれたのは紙とデジタルツールだ。

日記やスマホ、最近では音声認識が、インプットされたものを代わりに覚えてくれた。

何より、一日でも長く生きようと思う。

死のリスクも色々な面で標準より高い。

今からでもその運命を跳ね返して、人生を取り返さないともったいない。自分達は一人ずつしかいないのだから。

2021年12月 3日 (金)

幼少期自閉症だったと思う理由(2)

前回から続き、タイトルに疑念を持たれるかもしれないけれど、読んだ人が判断してくれれば良いと思う。

下記はコミュニケーションの問題のほんの一部で、成人後まで続いたものもある。

  • 質問に答えられないか、言いたいことと違うことを答える。
  • 授業で指されても黙ってめそめそする。
  • 耳で聞いた文を覚えられない。
  • 敬語を使う立場の相手と全く話せない。
  • 親と友達以外の人の名前を口にできない。
  • いじめや嫌な要求を受けても拒否できず、上の理由で誰にも相談できない。

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若い頃は対人恐怖だと思っていたけれど、少し違った。

人からの印象を気にするというより、言葉そのものを理解、表現したり、上下・対等な態度を使い分けたりする、そのスキルが足りなかったのだ。

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私の母親は、持病でいっぱいいっぱいで、子供にかまう余裕がなかった。同時に、我が子の幸せ=他人に誇れる立場、という信念を抱いていた。

かたや父親は凸凹の少ない人だったし、筆記試験重視の職業だったから、勉強させればなんとかなると考えていたように思う。

仮に私の発達の偏りを指摘されたとしても、両親は決して認めなかったはずだ。

そして、結果的には、とても残念な家庭になってしまった。

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20年以上かけて、失敗を重ねて、独自の対人ルールがやっとできてきた。

例えば、新しい環境でどうやって話し相手を見つけるか……

普通なら、生まれて数年で自然に学ぶことなのに。

でも、成人ASDの再判定を受けるのは断念した。設問にこう答えれば診断されることがわかってしまってるから。

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本当は発達障害ではないかもしれないし、また専門的概念ができたり、消えたりするかもしれない。

ただ、そういう子供がいて、周りに気づかれぬまま、こういう大人になったと書くことは、いつか同じ困り事を持つ当事者や、家族がいる人の役に立つと信じている。

家族や近親者が「この子は困っているのではないか」と気にかけるだけでも、だいぶ違うと思う。