カテゴリー「過去や家族のこと」の62件の記事

2023年7月 4日 (火)

改めての自己紹介

改めて自己紹介を書きました。経歴症状にもつらつら書かれていますが、それ以外のことも載せるので、読みたいところだけどうぞ。

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🚃概要と発達特性

ADHDとうつ、健忘症などを持つ更年期の既婚女性です。
発達性協調運動障害もあると言われています。

幼児期から典型的なADHDの特性を持っていました。
ストラテラを服薬して、先延ばしと片付けられない問題は改善したと思います。
忘れ物、遅刻などはいまだにしてしまいます。

自閉スペクトラム傾向(ASD)は診断基準に届きませんが、子供時代はほとんどの特徴を満たしていました。
今でもコミュニケーション障害と感覚過敏はとても強いです。

鉄道や機械も大好きで、他には音楽やレトロなものが好きです。

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🏠家族・人間関係

母親は38歳で統合失調症と診断され、薬剤性パーキソニズムを併発しています。
それだけではない未診断の何かがあると思います。
性格は支配欲と他者依存が強く、私は広義のアダルトチャイルド(AC)でもありました。

自分が10代の時は、異性から心身的な虐待を受けていました。
なぜ親しくなったのかは、母親に性格が似ていたからだと思います。
時には命の危険を感じたこともある"はず"です。
ところが、その数年の記憶はすっぽり抜けて存在しません。

ネット掲示板でできた元メル友と結婚しました。
子供は二人いて、私よりは軽度ながら発達特性を持っています。

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🏣健忘症と治療

30代から物忘れが悪化し、前になかった症状も増えましたが、色々調べた末、自分ではこう考えています。
慢性睡眠不足+ストレスフルだったのと、栄養不足(大量飲酒等)や遺伝的体質で、もともと脆弱だった脳神経が壊れたのではないかと。

それが何という疾患にあたるのかは不明で、主治医とも意見が一致していません。
ただ、私はこの状態が続けば、人より早く認知症の状態になるのではないかと危惧しています。

だから、神経細胞を無駄に壊さないように・少しでも再生できるようにと思っていて、そのために、認知機能維持に良いと言われる活動をできる範囲でやっています。

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最後に、このHPは13年前、自分が自分を忘れないために始めたものですが、同じような人が一つでもヒントを得られれば幸いです。
改めて、よろしくお願いします。

2023年5月24日 (水)

母が動けなくなったこと(悪性症候群?)

経過が人それぞれな病気を話題にするのは難しい。
例えばがんは治る病気だと言われるようになっても、身内には治すことができなかったケースがある。

母の持病である統合失調症も、寛解する率は高くなったから、予後の悪いケースを書けば不安を煽ってしまうかもしれない。
だけど書けばどこかで、啓発・研究に役立つかもしれないとも思う。

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母は治療抵抗性の統合失調症で、以前に書いたような経過をたどってきた。

私がエピソード記憶の取り出せなくなる病気だとすれば、母は架空のエピソードが記憶に入り込んでしまう。
それと推論機能がうまく働いていなくて、しばしばつじつまの合わない言動をする。

治療薬のエビリファイは充分効果がなくて、増やせば錐体外路症状(震えや硬直)が増え、減らせば陽性症状(幻覚など)が増えるというシーソーのような状態だった。

ところが最近、錐体外路症状を減らすため減薬をした数日後、ほとんど動けなくなってしまった。
体が固縮して、手足に力が入らない。声が弱々しくて熱もある。

ただ、多弁と気の強さはいつも以上で、私の呼んだ救急車を一度拒否。
結局、身体疾患は見つからず、精神科病棟のある病院で薬の調整をしてもらうことになった。
ネックだった母の説得も、医師の後押しでなんとかなった。

原因はまだ確定ではないけれど、エビリファイを減らしたことで、悪性症候群を起こしたのではないかと言われた。

確かにリンクに書かれているような兆候があった。ただ、まれな現象のようだ。

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私も以前、ある種の薬を始めたら、うたわれる効果は出ずに逆効果のような症状が出た。
母と共通するのはドーパミン受容体に作用することで、今思えば「過感受性精神病」という状態にあてはまる。
とはいえ二人とも少用量だったから、背景には+αのメカニズムがあると思う。

私は統合失調症と診断されたりされなかったりで、今はされてないけれど、去年から幻視も出てきたし、ゆっくり母の後を追っているような気がする。

真相は5年、10年経てばわかるんだろうか。
その間に色々な研究が進んでほしいと思うし、お互い元気でいることを願いたい。

2023年3月14日 (火)

母の統合失調症?+何か(1.5)

前回(1)の続きの前に、今のことを書こうと思う。

母は今、遠方の実家で独り暮らしをしている。
記憶力・見当識は年相応よりやや劣る程度で、私よりちゃんとしてるくらいだ。

ただ、体幹がS字フックのように曲がっているし、錐体外路症状といって手足が震え、小刻みにしか歩けない。
昔の薬の後遺症と、今の薬の副作用とされている。

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そして妄想もかなりエスカレートした。
三十数年前は浮気疑惑のようなありがちな妄想だった。
それが今は「組織に命を狙われている」「大災害が明日にも来て死ぬ」と信じている。
幻覚も声だけでなく、人の出入りや揺れまで感じている。

意外と本人はケロっとしていて、壮大でおぞましいストーリーを淡々と話す。

問題は、母が電話魔でたくさんの人を振り回していることだ。
ただ、最近はほとんど聞き取れないし、意味も通じない。

薬はあまり効かなくて副作用ばかり。
運動系のドーパミンは明らかに減っているのに、思考はフルスロットル・ノンストップで、どこからそんなに燃料が供給されるのかと不思議でしかたない。

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私は、10年以上前からこう考えてきた。

母の「統合失調症」はサブ的なもので、未診断のもっと根本的なディスオーダーがあるんじゃないかと。
この病気のことを調べていても、母に当てはまらない部分が多すぎるからだ。

一つ思うのは、母が他者をコントロールすることに快を感じているように見えることだ。
母の症状の先にはいつも、"誰かに訴える"、"満足するまで訴え続ける"という行為があり、若い時からその気はあった(でも、私は記憶を喪失しているので具体的にはわからない)。
だとしたら、幻覚や妄想を抑えれば治るようなものじゃないと思う。

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私は、母の周りでは唯一反抗的だ。
昔は言いなりだったけど、それではこちらが壊れてしまうのでやめた。
そのせいか、母は私の言うことを何一つ認めないし、思い通りにならない時はしつこく迫る。

最近は、「災害が来るから絶対実家に来るな」と言われる。
アポなしで行ってもすぐに追い出される。
干渉されないのは助かるけれど、トラブルに対応できなくてもどかしい。
この先どうすればいいんだろう。

2022年12月31日 (土)

2022年は精神的転機だった

2022年はまず、地獄のような部署に飛ばされた。汚い仕事、力仕事で腹筋が割れた。要領が悪いためやることなすこと否定され、根も葉もない噂まで立てられた。全てがブラックだった。

そのせいか、春先には身体中が炎症を起こした(と思う)。記憶が壊れ、毎晩パニックを起こし、手足の自由もきかなくなった。ところが、下の絵のようなループで精密検査を拒否されるばかり。幸い4ヶ月以上かかって元に戻った。今でも視神経の不具合は残っている。

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その中で"障害"者として人生を立て直すことを考え、障害者職業センターに3ヶ月通い、様々な自己分析の機会をもらった。ブラック部署でやっていた、視覚と手先を協応させる作業は一番向いてないと知った。

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秋にはADHD+うつ病として精神障害者保健福祉手帳2級を取り、資格も二つ取り、ハロワから障害者雇用で一発採用された。前に比べたらやりやすい業務だ。ところが1ヶ月もたたないうちにコロナにかかってしまい、なんとかブレインフォグを回避して今に至る。

……

今年は自分の凸凹を再確認したり、体調不良とのつきあい方を学んだりで、生きづらさはかなり和らいだ。ただ、要求水準は去年までよりずっと下がった。

「いつかどこからか、スポットライトが当たるかもしれない」、そんな幻想は完全に壊れた。ただ地道に、生きていれば十分くらいの気持ちでいる。

……

母の幻覚妄想はゆるやかに悪化していて、対策のしようがない。私もそうだけど、核となる症状に薬が効かないのだ。皮肉にも医療界隈にいながら、地域医療への期待を喪失した一年だった。ネットに流れてくる最新の科学情報が支えだ。

……

今期待をかけているのは、運動・スポーツだ。とにかく歩くようにして、プチトレーニンググッズも色々買った。まだ大きな効果はないものの、少しだけ思考の流れがスムーズになった気がする。

総合的には、凸凹の凹はより下がり、凸も活かせていないけれど、特性とはまた違う面をきたえることができた。そういう意味ではそれほど悪くなかった一年だと思う。

2023年もよろしくお願いします。

2022年8月 9日 (火)

新たな症状(不安)とフラッシュバック・退行のようなもの

※この文章はマイナスの感情を呼びさます恐れがあるのでご注意ください。

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症状と言っていいのか、今までにない体験をまたしている。
前から時々、睡眠中にパニックを起こし不安になることがあったけれど、それが日中も起こるようになった。
今週などはもう、職業センターにいても、好きな音楽を聴いていても、数分おきに不安が襲ってくる。

昨日、休止していたロラゼパムを頓服として1錠飲んでみた。
不安はいくらか薄れたけれど、夕方になって急に眠り込んでしまった。
本当はあまり頼りたくない。

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もっと真偽不明な話をすると、自我が子供時代に退行している気がする。
前にも古い記憶想起をきっかけにそういうことがあった。

今は特に、何十年も忘却していた
「母親が突然病気になって、まったく別人になったトラウマ」
がよみがえったかのようだ。
エピソードは思い出せないにしても、感覚が小学生の頃にとても近いのである。
その感覚から芋づる式に、様々な光景と、やりきれない感情が浮かぶ。

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私の中には分離不安の記憶が二つあった。一つは先に書いた、母親が発症してしばらく引き離されたこと(>>過去記事)、もう一つは数年前、父をがんで亡くしたこと。

その二つは同じカテゴリに入っていて、どちらも私はなんでもないようにやり過ごしたけれど、今になってその寂しさの塊が押し寄せてきたように思う。

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これは果たして人の心理にとって、良いことなんだろうか。

非科学的な言い方をすれば、さびついていた感情の回路が治療によって復活したのかもしれない。
思い出しても、自分なりに折り合いをつけられれば、結果オーライなのかもしれない。

だけど今のように不安が続けば、また心身の症状が悪化してしまう恐れもある。

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精神科医に話せばいいんだろうけど、何か言えばすぐ薬という先生だから気が引けるのだ。
もちろん、トラウマティックなできごとについて話したこともない。

とはいえ今日も堪えられず、ロラゼパムを半分に割って飲んでみた。

そして、実家の母に電話をした。

いつも嫌々電話を受けているくらいだから「どうしたの」と珍しがられた。

5分くらい理解不能な話をされたけれど、元気そうだった。

そして、これを書いたことで少し動悸が落ち着いた。
いずれカウンセラーに頼るとして、セルフヘルプを手探りで進めようと思う。

2022年6月 9日 (木)

私の悩みは(Twitterより)

私の悩みは、何度も書きますが子供の時から時間・順序・エピソードの感覚が鈍く、それが加齢?で悪化し、今はほとんど喪失しつつあることです。 

記憶を時系列で並べる機能が脆弱なんだと思います。

見当識障害または解離症とも違い(似てはいる)、悩みを説明する概念や障害部位がわからず、ずっと探しています。

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ピンポイントで説明する診断名がなく、時間失認、順序失認という用語もないので、当事者とつながることもできません。
Twitterや本を通して、ADHD・高次脳機能障害・認知症の方の中にこの悩みを持つ方がいることを知り、情報交換を図りたいと思っています。

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自分では、母親と私は同じ障害(統合失調症圏)で、症状の出方が違うだけだと考えています。

エピソードが「いつ」のことかがあいまいになった結果、実体験と想像or他者の体験を区別できなくなりそうだからです。

この半年ほどのことで、先が見えません。そしてリアルでは一人も理解者がいません。

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追記:

主治医にはどれほど忘れやすいか信じてもらえません。身内には気持ちが伝わりません。友達もおらず、カウンセリングは高額で頻繁に通えず、ほとんど一人で対処しています。

2022年4月22日 (金)

母の統合失調症?+何か(1)

母は30代後半の夏、私(当時11歳)と二人で旅行中に突然、錯乱というかせん妄を起こした。

(私にはその前後の記憶がない。今年、自分が似た体験をして、当時のことを考えられるようになってきた。)

 

発症(正確には急性増悪)の1年前、転居をしていたが、きっかけは隣人が家を見張っているというもので、この時点では誰も母の話を疑わなかった。

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前の母は、どこにでもいるような主婦だった。プライドが高く社交的で、料理や習字も好きだった。一方、運動神経が悪く、筋力が弱く、道具や機械がうまく使えなかった。

隣人関係の訴えと同じ頃、急に具合が悪くなって救急車を呼んだことがあり、横になることが増えた。貧血、自律神経失調症、(早期の)更年期などと言われ、滋養強壮剤を飲んでいた。

 

そんな中、家族旅行に急きょ父が行けなくなったのだ。電車で4時間かかる所。母にはプレッシャーだったと思う。

ふりだしに戻る?

異変は、朝突然だった。

「○○さん(知人でもない人)が亡くなった。行かなくちゃ」

夢と現実が混ざったことをつぶやき、呼びかけにはぼんやりして答えない。促せばゆっくり歩く。母のこんな姿を見るのは初めてで心配した。

 

どうやってかわからないが、2時間位かけて、父や祖父と合流できる場所まで誘導した。

そこから自宅まで、私は母に近づけなかった。ただひどく取り乱し、死にたがっているのはわかった。同意なき入院となったようだ。

 

まだ精神分裂病と呼ばれていた時代で、精神病院の役割も今とは少し違った。

母は病識がなかったので、この出来事以来、親族と私に根強い恨みを持った。

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2~3ヶ月入院した後、半年父の生家で療養した。母方の祖母は早く病死し、実家には義母がいたから甘えられなかったのだ。

 

自宅に戻った母は、一日じゅう横になって起きられなかった。目の焦点が合わず、無表情になり、「引っ越さなければよかった。そうすればこんなことに……」とつぶやき続けていた。

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1年ほどで家事ができるほどになった。ところが治療を拒否してしまい、また症状が強まった。

幻聴、被害妄想、不眠、希死念慮により、数ヶ月の医療保護入院→小康状態、というのを数回繰り返した(その10年間には私も異常を来し、母と葛藤した)。

 

主病名はいまだ本人に知らされていない。母は当時鉄格子のついた病棟に閉じ込められたことを恨み、私と父を信用していなかった。

だから再発時に受診をさせるのは、家族にとって難題だった。「父の言うことがおかしいから一緒に心療内科に行って」と頼んだ時もあった。

(後半へ)

今のこと>>

2021年12月 3日 (金)

幼少期自閉症だったと思う理由(2)

前回から続き、タイトルに疑念を持たれるかもしれないけれど、読んだ人が判断してくれれば良いと思う。

下記はコミュニケーションの問題のほんの一部で、成人後まで続いたものもある。

  • 質問に答えられないか、言いたいことと違うことを答える。
  • 授業で指されても黙ってめそめそする。
  • 耳で聞いた文を覚えられない。
  • 敬語を使う立場の相手と全く話せない。
  • 親と友達以外の人の名前を口にできない。
  • いじめや嫌な要求を受けても拒否できず、上の理由で誰にも相談できない。

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若い頃は対人恐怖だと思っていたけれど、少し違った。

人からの印象を気にするというより、言葉そのものを理解、表現したり、上下・対等な態度を使い分けたりする、そのスキルが足りなかったのだ。

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私の母親は、持病でいっぱいいっぱいで、子供にかまう余裕がなかった。同時に、我が子の幸せ=他人に誇れる立場、という信念を抱いていた。

かたや父親は凸凹の少ない人だったし、筆記試験重視の職業だったから、勉強させればなんとかなると考えていたように思う。

仮に私の発達の偏りを指摘されたとしても、両親は決して認めなかったはずだ。

そして、結果的には、とても残念な家庭になってしまった。

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20年以上かけて、失敗を重ねて、独自の対人ルールがやっとできてきた。

例えば、新しい環境でどうやって話し相手を見つけるか……

普通なら、生まれて数年で自然に学ぶことなのに。

でも、成人ASDの再判定を受けるのは断念した。設問にこう答えれば診断されることがわかってしまってるから。

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本当は発達障害ではないかもしれないし、また専門的概念ができたり、消えたりするかもしれない。

ただ、そういう子供がいて、周りに気づかれぬまま、こういう大人になったと書くことは、いつか同じ困り事を持つ当事者や、家族がいる人の役に立つと信じている。

家族や近親者が「この子は困っているのではないか」と気にかけるだけでも、だいぶ違うと思う。

2021年12月 2日 (木)

幼少期自閉症だったと思う理由(1)

かつての高機能自閉症、アスペルガー症候群、広汎性発達障害は自閉症スペクトラム症(ASD)にまとめられた。2013年~のことのようだ。

私は2015年にADHDの見立てを受け、19年にも検査を受けてほぼ確定している。ただ、ASDの傾向はないとされた……自己評価で1点足りなかっただけで。

……

AQというスクリーニング検査をやったことがある人は、設問自体が抽象的で、理解しづらいと思わなかったろうか?

私は"こだわり"や"細部への注意"が低く出た。この辺りはADHDとは矛盾する特性でもある。

診断されてないものについて語るのはおこがましいかもしれないけど、ASDは白と黒の単純なグラデーションではなく、赤や青の混じった多元的なもののはず。それが今はひとまとめになってしまい、ある種の群が弾かれてしまっているように感じた。

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例えば、知的な遅れはない代わり、アスペルガーと違って言語に遅れがあった場合。

私がことばを話し始めたのは満3歳ごろだという。ただこれは母親との関係や視覚優位も関わっている(→見えてきた二つのことば脳(1))。

話し始めたかと思えば、両親以外の年長者とは話せないし、話しても内容がとっちらかってストーリーにならない。アイコンタクトも当然無理。

また、音などへの感覚過敏、数えきれない恐怖症や嫌悪感があった。

例えば、筆文字やマークなど「白地に黒いもの」を異様に恐れていた。それは瞳を見られないことにもつながっていたのだろう。

「ごっこ遊び」はAQで"できる"に○をつけていた。即興の劇を作るのが得意で、逆に鬼ごっこやカードゲームなど、人の手の内を予想するような遊びには全くついていけなかった。

とにかくクラス一、学年一おとなしく、いじめられっ子で、のろまな女子だった。

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それでも大人たちは気にかけなかった。時は昭和の終わり~平成、試験さえ通れば進学も就職もできると信じられ、しかも女性は嫁ぐことが最終目的と思われていたから。

私の対人能力は、おそらく20歳過ぎても低学年並みだった。この辺りは、両親との葛藤や他の精神疾患も絡んで、一概に発達の問題とは言いがたい。

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私がかろうじて人と話せるようになったのは、心理学を専攻し、発達障害を知り、対人経験を意識的に積み直してきたからだと思う。抗不安薬のおかげで人に話しかけやすくなったのもある。

長くなったので続きます。

2021年11月10日 (水)

見えてきた二つのことば脳

結論から言えば、私の「ことば脳」は二つある。

用語ではないけど仮に、文字脳と音声脳としたい。

いつからか、今に至るまで、↓の矛盾があった。

 

書いた(読んだ)ことを思い出してしゃべるのが難しい

 VS

s言った(聞いた)ことを思い出して書くのが難しい

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ネットや手帳、文章を書く脳は、もちろん文字脳。

私は話す時も時々、この文字脳を使う。頭の中に絵日記のような画を思い浮かべて、それを説明するのだ。まわりくどく冷淡な表現が多い。

ただ、緊張すると働きが止まってしまう。

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一方、音声脳は会話の時だけでなく、情動に結び付いた表現や、自身へ指示を出す時に使っている。手紙やLINEの読み書きにも音声脳を使う。ネガティブな発言が多い。

ところが昔から、言うべきことばがスッと、フレーズになって出てこないのだ。

 

安定剤やアルコールが入ると多少饒舌になる。内的情報にアクセスしやすくなるのだろう。

この数年、とくに最近は、毎日のように声を使うので、いくらか会話がスムーズになった。

 

ただし、自分でも把握できないくらい勝手にしゃべり、文字脳の意思と矛盾してしまう。

また、うつ状態の時は、音声脳が優位になる。薬の飲み忘れで真っ先に不具合が出る機能でもある。

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この、まるで二重人格のような乖離は一体なんなのか。

原因として考えられるのは、一つに、母の統合失調傾向+未診断の障害の遺伝。

もう一つ、0~2歳までの両親との関わりの希薄さ。

 

母は元々、家族との情緒的関わりに無関心で、一人っ子の私とはほとんど遊ばず、頭がよくなるからとテレビばかり見せていた。

父は母より育児に積極的だったけれど、やはり情緒的交流は少なかった。

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テレビは一般論として、乳幼児の知的発達を補助する効果がある。だけど、そのウエイトが異常に大きく、相互コミュニケーションが不足すれば、脳の発達はかたよる可能性がある。

 

私の文字脳は、根拠はないけど、視覚優位型だった自分が、テレビでひらがな・数字を覚え、絵本で漢字とアルファベットを覚えながら、沈黙の中で育ててきた機能だと考えている。

音声脳は、文字脳よりも遅れて発達した。つまり私は文字を読めても、3歳前後までまとまった発話をしなかったのだ。定型発達と逆の順序。

その後も音声言語をめぐっては、さんざんひどい目に遭った(長くなるのでまた別に)。

……

加齢と精神疾患(?)の進行によって、この二つのことば脳の連携が、大きく崩れてきた感覚がある。

それがもしかしたら今悩んでいる、物忘れやあまのじゃくな行動の一因となっているのではないか。

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