ヘレン・ケラーの記憶力と言語力
自分が精神『障害者』になったせいだろうか、急にヘレン・ケラーのことを調べたいと思った。
今まで「目が見えず耳も聞こえないのに言葉を覚え、話ができるようになった人」という記憶しかなかった。
どこか「気の毒な人」という意識すらあった。
だけど自伝を読むと、そんな単純なものではなかった。
彼女は、障害のない人でもとうてい成し遂げられないような力の持ち主である。
彼女は指文字や言葉を覚える前から刺激豊かな体験をし、見聞きできないはずのことまで事細かに覚えていた。
アン・サリバン先生と出会ってからは次々と語を覚え、膨大な数の本を(指文字や点字で)読み、何か国語もの言語を覚え、今のハーバード大学では健常者とともに学んで卒業し、たくさんの著作を残した。
自伝を読むと、その豊かな記憶力と表現力に驚いてしまう。
彼女が"言語"を正しく覚えたのは7歳からなので、適した習得時期をとっくに過ぎている。
そこまで彼女を成長させたものは何なのだろう。
もちろん、恵まれた家庭に生まれたことと、彼女に一生を捧げた師のおかげもあるかもしれない。
だけど、もとから好奇心と向上心が本当に強い人だったんだと思う。
私には、子供時代のエピソードがストーリーとして残っているというだけでも驚きなのに、それを小説のように再現できるというのは、ヘレンにしかできないことなのか、それとも、誰でもある程度できることなのか。
私は見えて、聞こえる代わりに、その知覚を処理するのに精いっぱいで、なにか肝心のものが欠けている。
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意志を伝えたい、という気持ち、うまく伝わらないもどかしさは、どこか共通している。
だから、その手段である言葉をたくさん学びたいというのも。
それを受け止め、返してくれる人が、どれだけいるか。
「障害だから、しゃべれないのだから、たいして話さなくてもいい」ではなくて、見聞きできる人と同じように積極的にコミュニケーションを取ろうとした、ヘレンの家族や先生、友達の存在は素晴らしいと思う。
私も、伝えたい気持ちをあきらめたり、あきらめさせたりしないようにしたい。