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2022年4月22日 (金)

母の統合失調症?+何か(1)

母は30代後半の夏、私(当時11歳)と二人で旅行中に突然、錯乱というかせん妄を起こした。

(私にはその前後の記憶がない。今年、自分が似た体験をして、当時のことを考えられるようになってきた。)

 

発症(正確には急性増悪)の1年前、転居をしていたが、きっかけは隣人が家を見張っているというもので、この時点では誰も母の話を疑わなかった。

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前の母は、どこにでもいるような主婦だった。プライドが高く社交的で、料理や習字も好きだった。一方、運動神経が悪く、筋力が弱く、道具や機械がうまく使えなかった。

隣人関係の訴えと同じ頃、急に具合が悪くなって救急車を呼んだことがあり、横になることが増えた。貧血、自律神経失調症、(早期の)更年期などと言われ、滋養強壮剤を飲んでいた。

 

そんな中、家族旅行に急きょ父が行けなくなったのだ。電車で4時間かかる所。母にはプレッシャーだったと思う。

ふりだしに戻る?

異変は、朝突然だった。

「○○さん(知人でもない人)が亡くなった。行かなくちゃ」

夢と現実が混ざったことをつぶやき、呼びかけにはぼんやりして答えない。促せばゆっくり歩く。母のこんな姿を見るのは初めてで心配した。

 

どうやってかわからないが、2時間位かけて、父や祖父と合流できる場所まで誘導した。

そこから自宅まで、私は母に近づけなかった。ただひどく取り乱し、死にたがっているのはわかった。同意なき入院となったようだ。

 

まだ精神分裂病と呼ばれていた時代で、精神病院の役割も今とは少し違った。

母は病識がなかったので、この出来事以来、親族と私に根強い恨みを持った。

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2~3ヶ月入院した後、半年父の生家で療養した。母方の祖母は早く病死し、実家には義母がいたから甘えられなかったのだ。

 

自宅に戻った母は、一日じゅう横になって起きられなかった。目の焦点が合わず、無表情になり、「引っ越さなければよかった。そうすればこんなことに……」とつぶやき続けていた。

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1年ほどで家事ができるほどになった。ところが治療を拒否してしまい、また症状が強まった。

幻聴、被害妄想、不眠、希死念慮により、数ヶ月の医療保護入院→小康状態、というのを数回繰り返した(その10年間には私も異常を来し、母と葛藤した)。

 

主病名はいまだ本人に知らされていない。母は当時鉄格子のついた病棟に閉じ込められたことを恨み、私と父を信用していなかった。

だから再発時に受診をさせるのは、家族にとって難題だった。「父の言うことがおかしいから一緒に心療内科に行って」と頼んだ時もあった。

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