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2021年12月 2日 (木)

幼少期自閉症だったと思う理由(1)

かつての高機能自閉症、アスペルガー症候群、広汎性発達障害は自閉症スペクトラム症(ASD)にまとめられた。2013年~のことのようだ。

私は2015年にADHDの見立てを受け、19年にも検査を受けてほぼ確定している。ただ、ASDの傾向はないとされた……自己評価で1点足りなかっただけで。

……

AQというスクリーニング検査をやったことがある人は、設問自体が抽象的で、理解しづらいと思わなかったろうか?

私は"こだわり"や"細部への注意"が低く出た。この辺りはADHDとは矛盾する特性でもある。

診断されてないものについて語るのはおこがましいかもしれないけど、ASDは白と黒の単純なグラデーションではなく、赤や青の混じった多元的なもののはず。それが今はひとまとめになってしまい、ある種の群が弾かれてしまっているように感じた。

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例えば、知的な遅れはない代わり、アスペルガーと違って言語に遅れがあった場合。

私がことばを話し始めたのは満3歳ごろだという。ただこれは母親との関係や視覚優位も関わっている(→見えてきた二つのことば脳(1))。

話し始めたかと思えば、両親以外の年長者とは話せないし、話しても内容がとっちらかってストーリーにならない。アイコンタクトも当然無理。

また、音などへの感覚過敏、数えきれない恐怖症や嫌悪感があった。

例えば、筆文字やマークなど「白地に黒いもの」を異様に恐れていた。それは瞳を見られないことにもつながっていたのだろう。

「ごっこ遊び」はできるに○をつけていた。即興の劇を作るのが得意で、逆に鬼ごっこやカードゲームなど、人の手の内を予想するような遊びには全くついていけなかった。

とにかくクラス一、学年一おとなしく、いじめられっ子で、のろまな女子だった。

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それでも大人たちは気にかけなかった。時は昭和の終わり~平成、試験さえ通れば進学も就職もできると信じられ、しかも女性は嫁ぐことが最終目的と思われていたから。

私の対人能力は、おそらく20歳過ぎても低学年並みだった。この辺りは、両親との葛藤や他の精神疾患も絡んで、一概に発達の問題とは言いがたい。

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私がかろうじて人と話せるようになったのは、心理学を専攻し、発達障害を知り、対人経験を意識的に積み直してきたからだと思う。抗不安薬のおかげで人に話しかけやすくなったのもある。

長くなったので続きます。

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