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2021年12月

2021年12月30日 (木)

人生が人の半分しかないと思って生きる

2021年最後の覚え書き。

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人より「遅い心」を持って生まれた私達は、人生が80年だとしたら、質的には40年相当しか生きられない可能性がある。

まず、情緒・言語・社会性の成長が遅れていた。

社会参加が出遅れていて、一般教養や経験が少ない。

処理速度が相対的に遅くて、時間が他の人より早く過ぎる

協力してくれる人もいないから、自力でやらざるを得ない。

さらに、睡眠時間や心身の回復時間も相当長い。

その根拠は、この数年の色々な検査と、記録、振り返り(これも含む)。

ただ。

そう認識することによって、「短い」人生をもっと長く、有意義に感じられるよう、工夫することができるはずだ。

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遅れのない部分もある。

例えば模写や聴音やものまね。要はごく短い間の短期記憶。

生活上使わないスキルばかりで、アウトプットもできない。

助けてくれたのは紙とデジタルツールだ。

日記やスマホ、最近では音声認識が、インプットされたものを代わりに覚えてくれた。

何より、一日でも長く生きようと思う。

死のリスクも色々な面で標準より高い。

今からでもその運命を跳ね返して、人生を取り返さないともったいない。自分達は一人ずつしかいないのだから。

2021年12月17日 (金)

ストラテラ増薬の影響と飲み忘れ

ストラテラ(アトモキセチン)、夏~秋?は25mgだったのが、今は80mg(40×2回)。

ところが2錠目の飲み忘れがひどく、なかなか維持できない。

とはいえ一度に飲めば、頭痛や胃もたれ感に襲われてしまう。

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成人ADHDの処方量としては最少レベルだけれど、さて、効果はどうか。

気分は穏やかになり、ネガティブ独語(汚言)が減り、身体の痛みも減り、おっくう感が減った。

自分にとってストラテラは、不思議と、やる気や前向き思考を引き出す効果があるようだ。

なのに、うっかりや失敗は減らない。

むしろ、作業の段取りが遅くなり、時間の経過が恐ろしく早い。6時間が1時間に感じられてしまう。

それはまだ、ノルアドレナリンがバランスよく働いていないということなんだろうか。

コミュニケーション面も悪くはないけれど、会話が思考よりも先に進んでしまい、まとまらない時がある。

それから、言葉の聞き取り能力が急に衰えた。聴覚的注意が下手になったのか、静かな場所でも聞き間違いばかりだ。

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そういうわけで、ADHDの不注意や衝動性にはあまり効いていない代わりに、他のメンタル不具合は落ち着いているので、続けていこうと思う。

2021年12月 3日 (金)

幼少期自閉症だったと思う理由(2)

前回から続き、タイトルに疑念を持たれるかもしれないけれど、読んだ人が判断してくれれば良いと思う。

下記はコミュニケーションの問題のほんの一部で、成人後まで続いたものもある。

  • 質問に答えられないか、言いたいことと違うことを答える。
  • 授業で指されても黙ってめそめそする。
  • 耳で聞いた文を覚えられない。
  • 敬語を使う立場の相手と全く話せない。
  • 親と友達以外の人の名前を口にできない。
  • いじめや嫌な要求を受けても拒否できず、上の理由で誰にも相談できない。

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若い頃は対人恐怖だと思っていたけれど、少し違った。

人からの印象を気にするというより、言葉そのものを理解、表現したり、上下・対等な態度を使い分けたりする、そのスキルが足りなかったのだ。

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私の母親は、持病でいっぱいいっぱいで、子供にかまう余裕がなかった。同時に、我が子の幸せ=他人に誇れる立場、という信念を抱いていた。

かたや父親は凸凹の少ない人だったし、筆記試験重視の職業だったから、勉強させればなんとかなると考えていたように思う。

仮に私の発達の偏りを指摘されたとしても、両親は決して認めなかったはずだ。

そして、結果的には、とても残念な家庭になってしまった。

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20年以上かけて、失敗を重ねて、独自の対人ルールがやっとできてきた。

例えば、新しい環境でどうやって話し相手を見つけるか……

普通なら、生まれて数年で自然に学ぶことなのに。

でも、成人ASDの再判定を受けるのは断念した。設問にこう答えれば診断されることがわかってしまってるから。

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本当は発達障害ではないかもしれないし、また専門的概念ができたり、消えたりするかもしれない。

ただ、そういう子供がいて、周りに気づかれぬまま、こういう大人になったと書くことは、いつか同じ困り事を持つ当事者や、家族がいる人の役に立つと信じている。

家族や近親者が「この子は困っているのではないか」と気にかけるだけでも、だいぶ違うと思う。

2021年12月 2日 (木)

幼少期自閉症だったと思う理由(1)

かつての高機能自閉症、アスペルガー症候群、広汎性発達障害は自閉症スペクトラム症(ASD)にまとめられた。2013年~のことのようだ。

私は2015年にADHDの見立てを受け、19年にも検査を受けてほぼ確定している。ただ、ASDの傾向はないとされた……自己評価で1点足りなかっただけで。

……

AQというテストで、私は"こだわり"や"細部への注意"が低く出た。この辺りはADHDとは矛盾する特性でもある。

診断されてないものについて語るのはおこがましいかもしれないけど、ASDは白と黒の単純なグラデーションではなく、赤や青の混じった多元的なもののはず。それが今はひとまとめになってしまい、ある種の群が弾かれてしまっているように感じた。

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例えば、知的な遅れはない代わり、言語に遅れがあった場合。

私がことばを話し始めたのは満3歳ごろだという。ただこれは母親との関係や視覚優位も関わっている(→文字脳と音声脳)。

話し始めたかと思えば、両親以外の年長者とは話せないし、話しても内容がとっちらかってストーリーにならない。アイコンタクトも当然無理。

また、音などへの感覚過敏、数えきれない恐怖症や嫌悪感があった。

例えば、筆文字やマークなど「白地に黒いもの」を異様に恐れていた。それは瞳を見られないことにもつながっていたのだろう。

「ごっこ遊び」はAQで"できる"に○をつけていた。即興の劇を作るのが得意で、逆に鬼ごっこやカードゲームなど、人の手の内を予想するような遊びには全くついていけなかった。

とにかくクラス一、学年一おとなしく、いじめられっ子で、のろまな女子だった。

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それでも大人たちは気にかけなかった。時は昭和の終わり~平成、試験さえ通れば進学も就職もできると信じられ、しかも女性は嫁ぐことが最終目的と思われていたから。

私の対人能力は、おそらく20歳過ぎても低学年並みだった。この辺りは、両親との葛藤や他の精神疾患も絡んで、一概に発達の問題とは言いがたい。

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私がかろうじて人と話せるようになったのは、心理学を専攻し、発達障害を知り、対人経験を意識的に積み直してきたからだと思う。抗不安薬のおかげで人に話しかけやすくなったのもある。

長くなったので続きます。

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