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2020年2月12日 (水)

凸は凹の代償なのかもしれない

時々、「どうして私はよりによって私に生まれてしまったんだろう」と悲しくなる時がある。不器用でコミュ障でもの忘れが多いゆえ、子供でもしないような失敗を繰り返してしまうからだ。

一人ならまだしも、他人を巻き込んでしまうから情けない。せめて原因を冷静に振り返って、同じ失敗を二度とはいわなくても、1/3くらいの発生率に抑えるくらいしかできない。

ないとりえをあえて挙げれば、見たもの(聞いたもの)の<再現力>と、文章などの<読解力>。

これは後天的なスキルだと自分では思う。発達障害が来たすエラーを無意識に矯正するなかで身についた、凸の部分だ。

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学校やデスクワークを離れて以来、そのスキルは必要なくなり、かなり落ちてしまった。ところが、家庭や地域で暮らす上では、器用さ、コミュ力、時間認識力などが何より重要視される。もしそれらが欠けていれば他者の信頼をなくすばかり。私には何十年かけても、どうにも改善できない能力だ。

それならやっぱり、できないことを嘆きつづけるのはやめて、できることで補いたい。

例えば自分なら、図画を描くこと、PCを使いこなすこと、辞書的な知識を覚えること。頭のよさとは違う、欠陥をかばうために身についたスキル。

それは今の生活じゃ求められてないけれど、ほかの(ほとんどの人が自然に持っている)能力と違って、やればやるほど向上できるし、自信の持てることだから。

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