コンサータとリタリンの思い出
メチルフェニデート系の薬とは二回出会い、二回別れている。
うつ病と診断されていた20代の頃、やるべきことがあるのに一日に4,5時間しか起きられなかった時期があって
その時出たのが「リタリン」。
名前はアメリカ発のADHD本で知っていて、憧れの薬だった。
だけど日本では、ナルコレプシー(突然眠ってしまう疾患)か、難治のうつにしか処方されない。
それ以前に、成人発達障害の存在自体が疑いの目で見られていた。
日本では、数少ない大人の当事者たちが、本やネットを通じて懸命に知識を広めていた。
私は「自分も間違いないと思うけど、一生診断されることはないだろうな」と思っていた。
何か月も待って、限られた病院の小児科に行かなければ、診察を受けることもできなかった時代だ。
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そんな折、やっとのことで主治医のところへ行った時、リタリンを提案された。
中枢神経刺激剤とは大仰な名前だけれどなんでもない。足りないものを補うんだから。
うろ覚えだけど、熱のないインフルのような状態が、風邪気味のだるさ程度にはなった。
依存性も全くなかった。
おかげで最悪の状態を脱して、この薬も必要なくなった。
だけど、リタリンを濫用する患者が増えて、ネットで方法が広まったり売買されたりして、
しまいには医者がその片棒を担いだことにより、2000年代の後半にはうつ病にもADHDにも使えなくなってしまった。
まったくわからない。私にとっては、効き目の長いドリンク剤のようなものだったのに。
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いつの間にか、リタリンは改良されて「コンサータ」というADHD治療薬になっていた。
いつの間にか、成人にも適用されるようになっていた。
そして今年の夏、昔ほどではないけれど、原因不明の動きたくても動けない状態に襲われ、コンサータを足してみましょうということになった。
ところが、同じメチルフェニデートでも今の私にはまったく合わず(>>前々回)、コンサータは半月でやめることにした。
この薬も近いうち、処方できる医師や患者が厳しく管理されるようになるらしい。
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何を飲んでも副作用はあるし、治すための薬ではないので、絶対に飲まなきゃいけないものじゃない。
別の薬はずっと続けているけれど、それがなければ今生きてないんじゃないか、というくらいに助けられてきた。
ただ、動けないから動かなかった、それは正直な体の声だったんだと思う。
動かざるを得ないから、動かないと迷惑をかけてしまうから、薬に頼ることにしたわけで。
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