できる人とできない人
人間として、できて当たり前だと思われていることを、生まれつき(あるいは症状で)できない人がいる。
ぱっと見はわからない。学校には行けるので、標準とみなされる。
でも本人は、できないのが当然だと思っているので、できて当然の人の気持ちはわからないし、
できて当然の人も、できない人の気持ちはわからない。
できない人は、できる人を傷つけるし、できる人も、できない人を傷つける。
私は数字や記号といった抽象的概念が苦手だ。公式・定理・年号の出てくる授業は全部落ちこぼれた。
今でも、家から駅まで何分かかるか答えられないし、家の駐車場の番号も忘れてしまう。
人の顔(相貌)も覚えられないので、持ち物や声で判断している。
普通の人はそれを忘れないのだと知った時、すごく驚いた。
なぜわかったかというと、家族が普通の人だったからだ。
だけど、覚えなくてよいこと、覚えたくないこと(主に視覚的な事柄)は覚えてしまうので、記憶力はいいといわれる。
普通の人はそれを忘れるのだと知った時も驚いた。
自分の正しい診断がわかってから、発達障害・学習障害に関する本を読んですごく納得した。
当事者と接したり、子供たちを見たりすることでさらに確信した。
ところが、心理本・自己啓発本(特に精神科医でない人が書いたもの)を読むと切なくなる。
できないことを、人の「心がけ」の問題として非難するから。
それはできる人が書いたものを信じた、できる人の話だから。
確かに私も、努力不足の時や思慮に欠けていた時はたくさんある。
「無意識には~なんだろう」と言われれば、(無意識のことなので)反論しようがない。
だけど、一生懸命やろうとして、何度も反省して、改善したいと思っている、なのにできない、ことが多い。
できる人の方が多くて、できる人の方がうまくいってるから、わかってもらえない。
そのために、発達障害や学習障害を持つ人たちは、声を上げているのだと思う。
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