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2019年12月

2019年12月29日 (日)

具合が悪いと家族は怒る

「具合が悪いから休ませて」がうちでは通じない。

つらくても誰かが洗濯や掃除を代わってくれるわけではない。当然、食洗機やドラム式乾燥機もない。私が横になることで部屋が汚れ、昼食が遅れれば、私に催促が来る。

たとえ最低限の家事をしたとしても、やっぱりブーイングは来る。「私が寝ているせいで出かけられない」と。スマホを触っていれば「寝てないじゃない」と嫌味を言われる。

私が元気な時は、私が家事を全部やって、みんなは食べ散らかして、テレビを見たりゲームをしたりしている。ごみ捨てをお願いすれば「えー」って顔をされる。(なんで家で仕事しなきゃいけないの?)とでも言いたげに。

今日は家族が作ったおにぎりを食べなかったら、「せっかく作ったのに無駄にされた」と怒られた。そういうもんなんだろうか。

私はほかの主婦と違ってよく具合が悪くなるから、家事を100%やらなきゃいけないんだろうか。

2019年12月25日 (水)

液晶タッチがつらいということ

ブログを再開してから、スマホ(正確には格安タブレット)で記事を打った際は、ほぼ全部、「完成直前に全消し」という痛い目を見ている。

なぜか押す必要のない ▽ に指がふっと行ってしまうからだ。

なぜかと考えたら、スマホは「キーを見て打たなければならない」からだと思う。

矯正しきれない強い乱視のせいもあるかもしれない。

文章やメッセージを打つ時も、2割くらいは関係ないキーを押している。

ガラケー、パソコンの方が何倍も早くて正確だ。

・・・

銀行や販売機の液晶画面もしょっちゅう間違えて何度かやり直す。

辛いのはセルフレジが増えたことだ。

慣れてる店でも、受け付けから会計までに何個選択画面のあることか、

なぜか盛り上がったボタンはそれほど苦じゃない。

他の人との差は、リアルタイムでLINEをする時に嫌でも思い知らされる。

とにかく液晶パネルの世の中になってストレスが大きい。

2019年12月24日 (火)

家事といえない雑事を誰がやるかということ

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家事というと、炊事・洗濯・掃除・買物くらいだと思われやすいけど、それだけではない。

ペットボトルを洗う、窓の結露をとる、植木に水をやる、虫や菌を退治する、といった細かな雑務が何百も積み重なっている。

 

もし、ここを読んでいる人がそれをやってないとすれば、別の誰かがやっているということだ。

ちなみに、わが家の家長は言われなければそれらを一切しない。一人暮らしの母も訪問ヘルパーもそれをしない。

だから私がするのだけど、チリも積もればであっという間に時間がたってしまう。

自分も気づける時と気づけない時があるので、調子の悪いときはなかなか厳しい。

 

母はもともと炊事・洗濯・掃除・買物"しか"しない人だったので、それ以外の作業は父と私がやっていた。

最近やっと、リサイクルの仕方を覚えたくらいだ。

家人は一人暮らし歴があるとはいえ、基本自炊はしなかったし、カビがあっても気にしない。

彼らにもし「ペットボトルを洗っておいて」と頼めば、「洗わなくたっていい」と返ってくるのが悲しい。

主婦をしながら働けている人は、そういった「家事とみなされない、細々としたハウスキープ」を誰がやるか、という点で違うのかもしれない。

 

こういった作業はボケ防止にもなるので、今誰かにやってもらってる人がいたら、すぐに実践してほしいと思う。

そして今それを担当している人は、できなくなった時のために、作業を書き出しておくといいと思う。

2019年12月23日 (月)

人生は短く、動作は遅い

発達障害の全員ではないけれど、動作が人並み外れて遅い人がいる。
運動神経もだけど、固有知覚という、体が現在どのような状態にあるかをとらえる力が低いから。

知覚と手足の動きを結びつける協応動作も苦手だ。
男性ならスポーツや機械操作、女性なら家庭科や身だしなみ。
うっかり人にぶつかったり物を破損したりするのも、不注意だけでなく固有知覚の鈍さと関連がある。

これもやはり、生まれつきできて当たり前の人が大多数なので、叱責やからかいの種になりかねない。
学校では体育と図工の成績が5段階の2でも、国語が4であれば遅れのない子とみなされる。

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この悩みの対策として、幼児の場合は「感覚統合療法」がある。
大人でも、リハビリのような作業を一人で繰り返せば、若干は改善するのかもしれない。
ただ、やっぱりノロノロなのは仕方ない。

まして自分のように覚醒時間が人より短いと、人生の中で成し遂げられる事柄は本当に少ない。
ある種のあきらめも必要なのかなと個人的には思う。

2019年12月20日 (金)

酒ではなく音楽に酔う

たっぷり昼寝したせいか調子が良くて、<br><br><br>
掃除機をかけたりテプラでラベルを作ったり、冷蔵庫を整理したり。<br><br><br>
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その後所用で都内某所へ。<br><br><br>
きれいなイルミネーション…<br><br><br>
<p> </p><br><br>
どうせ体験を忘れちゃうのなら、<br><br><br>
自分を抑えずに、もっと自由に暮らしたいし、<br><br><br>
記録もたくさん残したいなぁ。

今日はめずらしく調子がいい。

ひと月前は、力が出なくて数日寝たきりだった。

良い状態を保ちたいので、その理由をあれこれと考えるのだけど、エピソードも食物もバイオリズムも関係なく、20代から診断されている「気分の波」の問題だとしか思えない。

しいて言えば、音楽の影響かもしれない。

・・・・・・・

本当はアルコールを摂ってはいけない立場なのに、飲まないでいられない時がしばしばある。

そんな中、12月に入ってクリスマスソングを耳にしたのがきっかけで、好きなCDやMP3を流し続けるようになった。

すると酒量が驚くほど減った。

考えてみれば、よい音楽を聴いた時と、ほろ酔いの気分はよく似ている。

化学的にも、セロトニンやドーパミンのような脳内物質が増えるのだろう。

(ちなみにコンサータを試していた時も、一滴も飲みたくなくなった。)

しかも音楽には副作用がない。

・・・・・・・

その代わり家族と同居していると、好きな音楽を流し続けることは難しい。

年末の音楽番組で聞きたい歌があっても、チャンネルを変えられてしまうだろう。

逆に苦手な音楽を聴いたって、少しも気分は上がらない。

年明けまで、どう乗り越えていこうか・・・・・・

2019年12月19日 (木)

睡眠時間の常識と非常識

最近は10時半に寝て6時45分に起きている、

と書けばフルタイムの人達にはうらやましがられるだろうか。

 

だけど、この国のメディアは睡眠不足がどれだけ人の健康に害を及ぼすか、ということをはっきり伝えていない。

(アルコールやカフェインなどの情報もそう。)

個人的には、それらの事実を明かせば経済活動が滞るので、あいまいにされているように思える。

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前の仕事を辞めたのだって、今思えば、8時に出て19時に帰って、それから家事をして、持ち帰りの仕事をして、寝る前までインターネットをしてたりしたことが、心身の調子を崩した最大の原因だと考えている。(寝る前に明るい画面を見ることは睡眠の弊害になる)

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私も、もう少し早く起きられればいいんだけど、どんな時間に寝ても3時から1時間ほど中途覚醒があるのと、

自分が起きた5分後には家族が起きて騒いでしまうので、なかなかそうもいかない。

その代わり、テレビもゲームもしないし、飲み会にも行かないし、起きている時間は精一杯、作業を頑張ろうと思う。

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ナポレオンのように4時間しか眠らなくても平気な人は本当にいるけれど、それを目指してはいけない。

眠らないことを武勇伝のように語る人に、引け目を感じる必要はないと思う。

過度の睡眠不足によって脳細胞が壊れる、ということはもう、科学的にわかっているんだ。

人にはそれぞれ睡眠リズムがある。

12時に寝て6時に起きる、それが当たり前、という社会だったら、70,80歳になった時、みんなどうなってしまうだろうか。

 

2019年12月14日 (土)

頭の黒板、視覚に引きずられる

※ブログの表示がちょっと乱れてます💦


本来なら、脳の前頭葉にはメモ帳のような層になった黒板があって、そこに書かれたことは簡単に消えることはないはずだ。


例えば、


出かけようと外に出る→「あっ、水筒とゴミを忘れた」と考える→取りに戻る


ここまでが普通のうっかりだとしたら私の場合、

取りに戻る途中で近所の人に挨拶される→頭の中がそのことでいっぱいになる→何を取りに来たか忘れる→目に入ったゴミだけを持って来る


頭の黒板が、ちょっとした新しい刺激でも消えかかってしまう。


・・・


やれと言われたこと、やろうと思ったことを、実際にやったかどうかわからなくなってしまう時もある。


対象のものを「見た」「触った」という記憶は比較的よく残る。


だけど、「聞いた」「言った」「体を動かした」という記憶の方は実感が低く、過去の行動や空想と区別がつかない、その点で自分は生まれつきおかしい。


幼児でも、視覚優位型の発達障害の子は、見たものに引きずられ、指示に従えなかったりする。だけどこちらはもう大人だから、仕方ないではすまされない。


大事な場面では不必要な刺激を減らすとともに、「頭の黒板」は消えるもの、という前提で私達は動くしかない。

2019年12月10日 (火)

過去のプライドについて

時々、20代までやってきたことを振り返ることがある。

小中高と、成績は特別よくなかったけど、"真面目で素直で努力家"と周りには思われ(思わせ)ていた。

文系教科は少し得意だったので、進学もさせてもらった。

ところが、20代後半まで社会人になれなかったし、それも実質アルバイトで、半年でクビになった。

資格もろくになくて、ブラックな職場を渡り歩いた。

母の影響で地元には住み続けられなかったから、他県へ嫁に行った。

でも、父には苦労を掛けてしまい、長生きしてもらうことができなかった。

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今は一見、どこにでもいる主婦のような顔をしているけど、毎日がうっかりと体調不良で、外では働けない。

そのことを不遇と思ったり、誰かを責めたりするつもりはない。

強いていえば、10代までの「真面目に頑張れば報われる」という価値観が、20世紀末の大不況でひっくり返ってしまい、その頃の無力感をいまだ引きずっている。

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だけど、振り返ってよくよく考えたら、別に自分は真面目ではなかったし、頑張ってもなかったことに気づいた。

親や教師の要求に、皆と同じように合わせていただけだ。

だから、「前はもっと~だったんだ」とか、「本当は~なはずだったのに」というプライドにしがみつくのはなるべくやめたい。

これからの行動の足かせになってしまう。

 

負け惜しみのようだけど、昔は心理の専門職になりたくて、結局なれなかったし、ならなくて正解だった。

でも、学んだことは十分、生きるのに役に立っていると思う。

2019年12月 7日 (土)

コンサータとリタリンの思い出

メチルフェニデート系の薬とは二回出会い、二回別れている。

うつ病と診断されていた20代の頃、やるべきことがあるのに一日に4,5時間しか起きられなかった時期があって
その時出たのが「リタリン」。

名前はアメリカ発のADHD本で知っていて、憧れの薬だった。
だけど日本では、ナルコレプシー(突然眠ってしまう疾患)か、難治のうつにしか処方されない。
それ以前に、成人発達障害の存在自体が疑いの目で見られていた。

日本では、数少ない大人の当事者たちが、本やネットを通じて懸命に知識を広めていた。
私は「自分も間違いないと思うけど、一生診断されることはないだろうな」と思っていた。
何か月も待って、限られた病院の小児科に行かなければ、診察を受けることもできなかった時代だ。

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そんな折、やっとのことで主治医のところへ行った時、リタリンを提案された。
中枢神経刺激剤とは大仰な名前だけれどなんでもない。足りないものを補うんだから。
うろ覚えだけど、熱のないインフルのような状態が、風邪気味のだるさ程度にはなった。
依存性も全くなかった。
おかげで最悪の状態を脱して、この薬も必要なくなった。

だけど、リタリンを濫用する患者が増えて、ネットで方法が広まったり売買されたりして、
しまいには医者がその片棒を担いだことにより、2000年代の後半にはうつ病にもADHDにも使えなくなってしまった。
まったくわからない。私にとっては、効き目の長いドリンク剤のようなものだったのに。

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いつの間にか、リタリンは改良されて「コンサータ」というADHD治療薬になっていた。
いつの間にか、成人にも適用されるようになっていた。

そして今年の夏、昔ほどではないけれど、原因不明の動きたくても動けない状態に襲われ、コンサータを足してみましょうということになった。

ところが、同じメチルフェニデートでも今の私にはまったく合わず(>>前々回)、コンサータは半月でやめることにした。
この薬も近いうち、処方できる医師や患者が厳しく管理されるようになるらしい。

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何を飲んでも副作用はあるし、治すための薬ではないので、絶対に飲まなきゃいけないものじゃない。
別の薬はずっと続けているけれど、それがなければ今生きてないんじゃないか、というくらいに助けられてきた。

ただ、動けないから動かなかった、それは正直な体の声だったんだと思う。
動かざるを得ないから、動かないと迷惑をかけてしまうから、薬に頼ることにしたわけで。

2019年12月 6日 (金)

不安定不適応異色型

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これは今年、メンタルクリニックにて受けた検査である。

 
GHQ調査票というらしい。
一般的疾患傾向/睡眠障害/不安と気分変調、が強いそうだ。正常6点なら、19点の自分は何なのか・・・・・・


もう一つ、 伝統的なYG性格検査もやることになった。

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ぐちゃぐちゃだけど要は、情緒不安定で非活動的な消極的内向型というわけだ。検査上では異色型とも呼ばれるらしい。

やっぱり自分はマイノリティなのか?ほかのタイプの人口分布がわからないので何とも言えない。

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この結果だけ見れば完全に精神疾患で、そっちの治療も必要なんだろうけど、発達系の治療の上に、50分7千円で診察費も交通費もかかるカウンセリングなどどうして通えましょうか。

たとえ"不安定不適応異色型"でも、家族含めすべての人からは、健康な普通の人としてみなされているから、それに合わせて生きざるを得ない状況。家事はさぼれないし、役員もかけもちしている。

2019年12月 5日 (木)

ADHD治療薬インチュニブ

注意欠陥(欠如)多動性障害:ADHDは3タイプに分けられるという。

・不注意優勢型 ・多動性-衝動性優勢型 ・混合型

薬も3種類ある、ただし上のタイプ別ではない。

・ストラテラ(アトモキセチン) ・コンサータ ・インチュニブ

4年前にストラテラを処方され、1か月ほど胃痛や吐き気に襲われたものの、注意力はゆるやかに高まり、いつしか当たり前の薬になっていた。
症状は残りつつ、二次症状のうつも減り、自分が発達障害であることすら特に意識しなくなっていた。

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昨年からだろうか、原因不明の(おそらく寝不足と心理ストレスによる)無気力になった。
一度は立て直したが、今年の夏になってまた無気力になり、大きな作業をした後何時間もへたばってしまう、そんな日が増えてきた。
そこで処方されたのがコンサータ。

ストラテラ(ノルアドレナリン系)と違い、コンサータはドーパミンに作用する薬。
ドーパミンはノルアドレナリンの前駆体・・・・・・?よくわからないが親戚のようなものなのか。

コンサータを追加すると確かに、おっくう感は減って無理がきく。
治療中もやめられなかったアルコールやカフェインもピタッとやめられた。
ところが服用中は動悸が苦しく、効能が弱まる時間帯にはどっとウツ気分が襲ってくる。
それであきらめた。

そして、今年から成人適用になったばかりのインチュニブ(ノルアドレナリン系)を試したわけだけど、
これが夜、時間を見計らって飲まなければならない薬なので、つい飲み忘れてしまう。

飲めば飲んだで、雑音、雑念が減って不安を感じない。
喜怒哀楽も感じない。
シラケてしまったかのようだ。
これが多動性を抑える薬なのだとしたら、私は今の生活に適応できなくなってしまうんじゃないかと危惧している。

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本当はストラテラに戻したくて、医師に相談した。すると
「飲む時間をアラームするなどして、もう少しインチュニブを続けてみましょう」、とのこと。

まだまだ、コンディションは安定しない。
同じ診断名の薬で、こうも違うのかとびっくりしている。

続き

2019年12月 4日 (水)

できる人とできない人

人間として、できて当たり前だと思われていることを、生まれつき(あるいは症状で)できない人がいる。

ぱっと見はわからない。学校には行けるので、標準とみなされる。

 

でも本人は、できないのが当然だと思っているので、できて当然の人の気持ちはわからないし、

できて当然の人も、できない人の気持ちはわからない。

 

できない人は、できる人を傷つけるし、できる人も、できない人を傷つける。

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私は数字や記号といった抽象的概念が苦手だ。公式・定理・年号の出てくる授業は全部落ちこぼれた。

今でも、家から駅まで何分かかるか答えられないし、家の駐車場の番号も忘れてしまう。

人の顔(相貌)も覚えられないので、持ち物や声で判断している。

普通の人はそれを忘れないのだと知った時、すごく驚いた。

なぜわかったかというと、家族が普通の人だったからだ。

 

だけど、覚えなくてよいこと、覚えたくないこと(主に視覚的な事柄)は覚えてしまうので、記憶力はいいといわれる。

普通の人はそれを忘れるのだと知った時も驚いた。

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自分の正しい診断がわかってから、発達障害・学習障害に関する本を読んですごく納得した。

当事者と接したり、子供たちを見たりすることでさらに確信した。

ところが、心理本・自己啓発本(特に精神科医でない人が書いたもの)を読むと切なくなる。

 

できないことを、人の「心がけ」の問題として非難するから。
それはできる人が書いたものを信じた、できる人の話だから。

 

確かに私も、努力不足の時や思慮に欠けていた時はたくさんある。

「無意識には~なんだろう」と言われれば、(無意識のことなので)反論しようがない。

 

だけど、一生懸命やろうとして、何度も反省して、改善したいと思っている、なのにできない、ことが多い。

できる人の方が多くて、できる人の方がうまくいってるから、わかってもらえない。

そのために、発達障害や学習障害を持つ人たちは、声を上げているのだと思う。

2019年12月 3日 (火)

ブログに戻る

ブログに戻ることを決めた。

今年、発達障害(発達症)の再検査をし、4年前の診断の裏付けが取れた。

注意欠陥多動性障害、ADHDについては小児期の多動が少ないものの、診断基準上にある。

自閉症スペクトラムはこだわりが少ないためグレーとされたが、それ以外は大いに当てはまる。

今、脳のノルアドレナリンを増やす薬と、緊張を落ち着かせる薬を飲んでいる。

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一昔前なら、内向型、人格障害、神経症、愛着障害、あるいはさまざまな精神疾患に振り分けられてきたものだ。

症状そのものや、合わない薬、合わない環境に苦しみ、去っていった人を何人も知っている。

 

私もこの年になるともう先が見えてきてしまうので、障害だろうと何だろうと

生きること、生かすこと、見送ること、死ぬこと、それだけが自分の生涯の使命なんだなと考える。

ただ、そこには自尊心が横やりを入れてくる。

 

私は最近、毎日のように自尊心を一つずつ捨てている。

何かの役に立ちたいとか、

良いものを作りたいとか、

家に人を呼びたいとか、

そういうことをあきらめながら、発達障害人なりに、別の形で自尊心を満たせないかと思う。

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