結論に近いもの
前に、忘れていたことと向き合って思い出したと書き、それから3か月ほどかけて、物忘れはいくらか解消しました。
心因性のものだったのか、あるいは若年性健忘だったのか?わかりません。
うっかりで粗雑なのは相変わらずながら、目に入ったもの、耳に入ったものが、頭の中で連想としてつながっていくようになってきました。(年相応にだけど。)
まあ、それは私自身が思っていればいいことなんで。
…
とにかく、ブログを作って1か月後にはすでに、カウンセリングで言われていたのに。
「私はこれが好きだ」とか、自然な気持ちに耳をかたむける・・・
考えるより感じることを優先する・・・
当時は、何を好きでいていいのか、さっぱりわかりませんでした。というか、好きなものに対しても自己検閲が入って、許せなかったんだと思います。
今思うと、内面のことで悩んだりしなかった、中1くらいの頃の方が、悩み続けた20数年よりもずっと健全な自己評価だったと思います。
…
23か4の時に、ミヒャエル・エンデの作品を読み漁った時期があります(数か月だけど)。
そのエンデの名言…昨日ネットで見つけたばかりですが
自己に執着すればするほど、人は真の自己を失う。自己をなくせばなくすほど、人はその人自身になる。
原典を読んでないから本当の文脈はわからない。でもその言葉がずっしりきて、自分なりに納得がいった、つまり共感したのは間違いないです。
« 言葉の無価値さ | トップページ | 「地獄は克服できる」 »
「過去や家族のこと」カテゴリの記事
- 母が動けなくなったこと(悪性症候群?)(2023.05.24)
- 母の統合失調症?+何か(1.5)(2023.03.14)
- 2022年は精神的転機だった(2022.12.31)
- 新たな症状(不安)とフラッシュバック・退行のようなもの(2022.08.09)
- 私の悩みは(Twitterより)(2022.06.09)