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2018年5月

2018年5月24日 (木)

「地獄は克服できる」 

「地獄は克服できる」 H.ヘッセ著 F.ミヒェルス編 岡田朝雄訳
この本はヘッセの詩や日記、エッセイの抜粋です。
ヘッセといえば「車輪の下」くらいしか知らず、昔、背伸びして読んだ詩も全然覚えてない・・・。
「ふたたび明るいところへ出るためには、苦しみの真っただ中を、
絶望の真っただ中を通り抜けていかなければなりません。」
読んでいて、私などまだ、この人の言いたいことの半分もわかってないんじゃないか、と思った。
本当の苦しみや死というものを・・・。
一生を通してつき合って行きたい作家です。(2001年 草思社 944)

2018年5月21日 (月)

結論に近いもの

前に、忘れていたことと向き合って思い出したと書き、それから3か月ほどかけて、物忘れはいくらか解消しました。
心因性のものだったのか、あるいは若年性健忘だったのか?わかりません。
 
うっかりで粗雑なのは相変わらずながら、目に入ったもの、耳に入ったものが、頭の中で連想としてつながっていくようになってきました。(年相応にだけど。)
 
まあ、それは私自身が思っていればいいことなんで。
 …

 

とにかく、ブログを作って1か月後にはすでに、カウンセリングで言われていたのに。
   「私はこれが好きだ」とか、自然な気持ちに耳をかたむける・・・
   考えるより感じることを優先する・・・

 

当時は、何を好きでいていいのか、さっぱりわかりませんでした。というか、好きなものに対しても自己検閲が入って、許せなかったんだと思います。
今思うと、内面のことで悩んだりしなかった、中1くらいの頃の方が、悩み続けた20数年よりもずっと健全な自己評価だったと思います。
23か4の時に、ミヒャエル・エンデの作品を読み漁った時期があります(数か月だけど)。
そのエンデの名言…昨日ネットで見つけたばかりですが

 

   自己に執着すればするほど、人は真の自己を失う。自己をなくせばなくすほど、人はその人自身になる。 

 

原典を読んでないから本当の文脈はわからない。でもその言葉がずっしりきて、自分なりに納得がいった、つまり共感したのは間違いないです。

2018年5月15日 (火)

言葉の無価値さ

この数日、ネットの今までと全然違う世界でコミュニケーションを取ろうとしたけど、全然だめだ。

業務用以外全くと言っていいほど声がかからなかった。

若いときからずっとそうだったから、自分の言葉はよほど人の関心を引かないんだろうなって
わかってはいる。

だから、リアルのコミュニケーションでは相手に引かれないように適度に自制してきた。

でも今回は、言葉だけが売り物のジャンルゆえ、のっけから自信をなくしかけている…

そもそも古今東西、あまたの人が色々なことを言ってる以上、ことさら自分が何かする必要なんてないんじゃないかとさえ思う。

このブログも含め、根源的な問題だ。

それでも、まだ完全にはあきらめてない。

2018年5月 5日 (土)

久々に実家に行くと、落ち着いたかと思われた母がおかしい。

「警察が前こう言った」とあり得ない毒発言をでっち上げてる。

妄想をまるで周りが完全に信じてるかと思っちゃうほど。

微発泡ワインを母と丸一本空けちゃうなんてこともあった。

心配なことはほかにも多いけど、この歌を親のために贈ろう・・・

星野源 Family Song

2018年5月 3日 (木)

一年間やった係の最後にて、過去最大の大失態が…

お一人に無理強いをして、その結果皆に頭を下げさせてしまい。

悪役になりたくなくて、適切なアクションをする度胸なかった。

胃が痛む…だけどもちろん、おみくじが凶とか運のせいじゃないです。

そのかたのメールを読んで率直な思いと指摘に感謝したほど。

本当に嫌なら口も利かないか、無難に流すだろうと思う。

そういったやり方をした旧友は一生接触ないと思われ…

どっちみち、おみくじにある「過ちを改め善を得る」をやらねば…

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