23歳だった(2010.10.10初ブログ)

サイトのプロフィールなどで「23歳」ってみると
「いいなぁ、すごく若いなぁ~」って思います。

私が熱心にネットしてたのも、23歳の時でした。
その時は若いという自覚がぜんぜんなくて、妙に老けてて、
世間知らずなのに、なんか人生悟ったような顔をして、
書きたいこと書いてたっけ。↓

酒好きにとって禁酒するのが辛いように、
ぜったいポジティブ思考すべきってのも無理に近いわけで、
まずは「ネガティブでいいじゃん~」くらいの気持ちからはじめようと筆者は思います。

きっと「ネガティブでいいじゃん~」と平気で言えるようになったら
かなり脱ネガティブできてると思うんですけど。いかがでしょう?(2001.12)

20代前半は、いろんなことですごく悩んだけど、
今よりも積極的だったし、将来に期待してる所もありました。

例えば、友達がほしい・・・、と思った時、
「なぜ自分は友達ができないんだろうsign02何をしたら良いんだろうsign02
と、本を読んだり、オフ会に参加したりしてました。

それが30代になった今は、(※当時)
「どうせ・・・友達できないよね。今までもダメだったし・・・自分にはムリgawk

で終了。

だから、悩む時間は短くてすむ代わりに、なんだかむなしい感じです。
10年で成長したといえるんでしょうかsweat02

結論に近いもの4

8年で、(長い目では18年で、)

家族が増え、家族を失い、仕事に出会い、定職を失い、
友達が増え、友達を失い、体重は減り、白髪が増え、
 
診断が定まり、思い出を取り戻し、 
そしてまたまた…更年期を前に、断薬の危機。
日常はデコボコと続くけど、
自分について"直接"口にすることは、これでストップします。
Mukuti
 
<最後に本の紹介!>
 
「地獄は克服できる」 H.ヘッセ著 F.ミヒェルス編 岡田朝雄訳
この本はヘッセの詩や日記、エッセイの抜粋です。
ヘッセといえば「車輪の下」くらいしか知らず、昔、背伸びして読んだ詩も全然覚えてない・・・。
「ふたたび明るいところへ出るためには、苦しみの真っただ中を、
絶望の真っただ中を通り抜けていかなければなりません。」
読んでいて、私などまだ、この人の言いたいことの半分もわかってないんじゃないか、と思った。
本当の苦しみや死というものを・・・。
一生を通してつき合って行きたい作家です。(2001年 草思社 944)
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ありがとうございました。

結論に近いもの3

続き

数日たって、二つのことを考えました。
 
一つは、「誰のために表現をするか」ということ。
 
仕事やボランティアで作ったもの、発表したもの、それらははっきり対象がありました。
だけどこのブログだとか、最近足を踏み入れた文学系の趣味は、誰にあてたものなんだろう。
 
文字を打つ時、頭の片隅ではどんな人が読むかを考えて書いているはずです。
自分、友達、あるジャンルの人たち。
その人たちが理解できる内容、言い回しで書き、その人たちの目線になって見直します。
 
それが、「誰だかわからない」「不特定多数の人」となると、どういう目で見ればいいかわからなくなります。
~立場の人が見れば、こう思うだろう、~の立場の人が見れば…。って
 
つきつめたら、ニュースや自動作文のような味気ないものになってしまうでしょう。
 
経験的には、実際「不特定多数」に関心を持たれる表現は、わりと内輪な対象にあてられたものだったりします。あるいはまったく他人を意識していない、自分のための文章だったり。
 
文字表現に限らず、「誰のために」、っていうことを考えていきたい。
 
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もう一つは、「表現するのは誰であるか」ということ。
そこはくどいんで、自分の中だけに。
 
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Wさんという、近代で一番自分が好きな文人がいて、
Wさんはもちろん、私のためにそれを書いたわけではないんだけど、
なぜだか、自分にあてられた絵葉書を読んでいるような気分になってくる。
そう思う人がきっとたくさんいるから、人気が衰えないのかなとも思います。
 
あるいはTさんとか、Sさんとか、って風に、共感できる表現者が心に集まってきて、
その共感の延長に自分がいて、たぶん、同じように彼らを好きな人がどこかにいるとしたら
その人が書いたものには、私もいくらか共感を覚えるはず。
 
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では、今これを何のために書いているのか。
一つは、将来、このような考えを忘れてしまった私のため、
 
もう一つは、8年前からご縁あってこのブログに目を止めてくれた人たち。
ブログがネット上にある限り、責任をもって落としどころを決めようと思うんです。

結論に近いもの2

続き

前に、忘れていたことと向き合って思い出したと書き、それから3か月ほどかけて、物忘れはいくらか解消しました。
心因性のものだったのか、あるいは若年性健忘だったのか?わかりません。
 
うっかりで粗雑なのは相変わらずながら、目に入ったもの、耳に入ったものが、頭の中で連想としてつながっていくようになってきました。(年相応にだけど。)
 
まあ、それは私自身が思っていればいいことなんで。
 
とにかく、ブログを作って1か月後にはすでに、カウンセリングで言われていたのに。
   「私はこれが好きだ」とか、自然な気持ちに耳をかたむける・・・
   考えるより感じることを優先する・・・
 
当時は、何を好きでいていいのか、さっぱりわかりませんでした。というか、好きなものに対しても自己検閲が入って、許せなかったんだと思います。
 
今思うと、中1くらいまでは内面のことで悩んだりせず、本やマンガをたっぷり読んで、友達は少なくても笑えることをたくさんして、その頃の方が、悩み続けた20数年よりもずっと健全な自己評価だったと思います。
 
その後は色々あり。
 
 
23か4の時に、ミヒャエル・エンデの作品を読み漁った時期があります(数か月だけど)。
そのエンデの名言…昨日ネットで見つけたばかりですが
 
   自己に執着すればするほど、人は真の自己を失う。自己をなくせばなくすほど、人はその人自身になる。 
 
原典を読んでないから本当の文脈はわからない。でもその言葉がずっしりきて、自分なりに納得がいった、つまり共感したのは間違いないです。
 
あと2回くらい続く

結論に近いもの1

言葉の勉強をしながら、全く初めての場で自己表現の練習をしてきたものの、
自分自身の中にあることをどう表してみても、不全感や後悔ばかりでした。もちろん人も寄りつかず…

ところが平行して、何百人という人の書いた言葉に振れ…
それらの中ですでに、私が表したかったことは全部言われ尽くしていることを思い知りました。

つい最近まで、その結論はすごくもどかしいことでした。
例えば、同じ言葉を発したとしても、それがあるAさんの言ったことであれば、Aさんの素性や能力、人柄と相まって、たくさんの人に受け入れられる。

だけど、頼りなくうさん臭い自分が言ったって…声だろうと文字だろうと、ほとんど共感を生まない。だったら言う必要もない。

それでいて誰かに認められたい衝動から、色々な言動をしてしまい、「やらなきゃ良かった」の繰り返しでした。

そんな中、勉強の一環で、尊敬する文学者の名言を集めて、その数十個の言葉を読み返した時、むしろ私の方が認められたような、満たされた気持ちになったのです。

数年前に体調不良で仕事を辞めて以来、めったに感じたことのない気持ちでした。

そうか、心の矢を外に向ける(内向人間の味方、本多信一さんの言葉)ってこういうことなのかもしれない、と気づきました。
もう、もどかしいと思わなくてよくなった。

続く

言葉の無価値さ

この数日、ネットの今までと全然違う世界でコミュニケーションを取ろうとしたけど、全然だめだ。

業務用以外全くと言っていいほど声がかからなかった。

若いときからずっとそうだったから、自分の言葉はよほど人の関心を引かないんだろうなって
わかってはいる。

だから、リアルのコミュニケーションでは相手に引かれないように適度に自制してきた。

でも今回は、言葉だけが売り物のジャンルゆえ、のっけから自信をなくしかけている…

そもそも古今東西、あまたの人が色々なことを言ってる以上、ことさら自分が何かする必要なんてないんじゃないかとさえ思う。

このブログも含め、根源的な問題だ。

それでも、まだ完全にはあきらめてない。

久々に実家に行くと、落ち着いたかと思われた母がおかしい。

「警察が前こう言った」とあり得ない毒発言をでっち上げてる。

妄想をまるで周りが完全に信じてるかと思っちゃうほど。

微発泡ワインを母と丸一本空けちゃうなんてこともあった。

心配なことはほかにも多いけど、この歌を親のために贈ろう・・・

星野源 Family Song

一年間やった係の最後にて、過去最大の大失態が…

お一人に無理強いをして、その結果皆に頭を下げさせてしまい。

悪役になりたくなくて、適切なアクションをする度胸なかった。

胃が痛む…だけどもちろん、おみくじが凶とか運のせいじゃないです。

そのかたのメールを読んで率直な思いと指摘に感謝したほど。

本当に嫌なら口も利かないか、無難に流すだろうと思う。

そういったやり方をした旧友は一生接触ないと思われ…

どっちみち、おみくじにある「過ちを改め善を得る」をやらねば…

凶
最近はなぜか言葉が出てこない。10日前までが嘘みたいに。

頭にもなにも浮かばず、嬉しくも苦しくもなくぼぉっとする日々。

言うなれば燃え尽きたような、悪運を受け入れられずシラケたような…

そう言えばおみくじ引いて凶だった。これで人生4度目の凶…

待人はきたらず失物出がたしと。されどすてばちはよろしからず。

定期通院

病院では、最近うつ気分なことと、ずっと言えなかった、夜酒を飲んでしまうことを話して、安定剤を一つ増やしてもらった。
断酒はきついけど、ワイン以外は体に合わなくなってたからちょうどいいや。

あと、次回までに市役所に行って、診断書の様式をもらわなくては…

一度しくじってるし、忘れずにいられる自信がない…

思い出したいこと

どうしても思い出したいことがある。
ずっと昔の4月のある夕方のことだ。
満開の桜を見上げたことだけは覚えている。

最近、実際に覚えている風景をたどってみたけど、辺りが様変わりしてしまったのもあってダメだった。

そしたらなんと、今の部屋にあった古いネガフィルムに、その当日?に撮ったとおぼしき4枚の写真があった。

早速焼き増し…
まさに桜の木を様々な位置から撮ったもので、我ながら意図的な記録のためだとわかった。

それをしばらく眺めてみたけど、その日使い捨てカメラを持っていたことさえ覚えてない。
まして何を考えたのかなんて全然。

でもどうしても思い出したくてモヤモヤしている。

最近の物忘れ

話題がない

鍵をつけっぱで出掛けたり

仕事のデータ抜けだらけだったり

あと大きい失敗
免許の更新日すぎた

寝不足が大きい
 
.................................
 
これを送信した直後に
ケータイを店に落としてきた( ノД`)

「対象喪失の乗りこえ方」

「対象喪失の乗りこえ方」
久々に加藤諦三先生の本を開いた。
ラジオ人生相談でおなじみの心理学者。

お年を召しても、神経症者全否定の断定調はぶれてない。

喪失対象を人に限らず、名声や権力などをからめて、最後はやっぱり幼児期の親との関係に収束するんだけど、

その中に
「私が私でないものになることによってしか続かない人間関係は、壊れた方が幸せである」
って言葉があった。
もっと早く、10代のうちにその考えに出会いたかった…

もう一つ、自分への憎しみと他人への憎しみに関する記述があって、たまたまテレビでも似たことを言った外国の子供がいた。

人の心を傷つける人達って、(自己愛が強いように見えながら)実はその人自身が自分を嫌い…
逆に私もその一人じゃないかって。

そういう解釈をしたら、なんだか色々なことを容認できる気がした。

時間の伸び縮み

Photo

1分おきにカウントするタイマーを使っていてよく思うのだけど、
自分の中では数秒の長さなのに、1分過ぎてるって時がある。

だいたい何か考えごとしてる時。

かと思えば、朝の起きかけの時などに、1分が数分にも感じられる時がある。

そういう時間感覚のズレが遅れにつながったりすると思うんで、
こまめに時刻を確認することは必須。

声によるリマインダーが役に立つ。
伸び縮みする時間感覚…

過去の自分のバックアップ

無用の長物だけど、学生の時は人の記憶や、認知の仕方について勉強をしていて、フロイトをはじめいろんな話を聞いたのに、そんなこと今はすっかり忘れていた。

だけど最近、身をもって知ったのは、
「過去の自分は脳のどこかで確実にバックアップされている」ということ。
たとえ意識が忘れてしまっても、退行催眠、多重人格、認知症でなどでみられる"あたかも〇歳に戻った自分"というのは本当に起こりえるということだ。
 
自分の場合も、本当に時計を巻き戻したかのように、現在なんてないかのように、ある時点のアイデンティティ(?)が復元されるという体験をした。
 
Photo
 
生まれてからこれまでにあった出来事は、 
もちろん悪い出来事もあるし、そういったものほど無意識の奥底に押しやられ、気づかないうちにネガティブな言動を引き起こしているのかもしれない。
でも、決して無にはならないはず。
 
自分にもまだまだ思い出せないプチトラウマがいくつかあるけど、それもまた機会があれば、前向きに向き合ってみようと思う。頭が壊れない程度に。

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